以前、別の記事で自分が偉いと勘違いしたPTA役員が教員に対して暴言を吐いた話を書かせていただきました。この教員はそれ以来、PTA役員がとにかく嫌いになったと言っており、当然、PTA活動に対しても消極的な態度を取っていたそうです。

これは極端な例だとは思いますが、そもそも教職員がPTA活動をどの様に考えているのか、どうもはっきりとは聞こえてきません。インターネットには「PTA活動の闇」とか「役員決めが地獄の睨み合い」といったなんともおどろおどろしい言葉が飛び交っていますが、これらは一様に保護者側の視点・意見であって、教職員の意見を目にすることがほとんど無いのです。なぜ教職員の方々はPTA活動の是非に言及しないのでしょうか?

私の場合、私学保護者会での役員経験しかありませんが、役員になって初めて知ったことのひとつに、私学の教職員にとって児童(保護者)は”お客様”であるということでした。

新年度が始まって間もなく、夏休みに入る少し前くらいの時期から、校長先生をはじめてとする数名の教職員は学校を不在にすることが多くなります。実際には私学学校説明会等のために外出しているのですが、この業務を教職員は「営業に出る」と言っていました。はじめてこれを聞いた時は、教員が営業に出るなんて言葉を使うのか、と少々驚いたものですが、よくよく考えてみれば、私学にとって定員の生徒数を確保するのは死活問題であり、考査料、入学金、および学費は学校にとっての売上となる訳です。少子化のこの時代、近隣の私学は競合相手でもあり限られた子どもの奪い合いが生じているのです。

 

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この児童集めという名の営業活動は、入学後にも後を引いており、教職員は日頃から学校の悪い噂がたっていないか、学校への不満を理由に退学(転校)する子どもが居ないかと、少なからず神経を尖らせています。教職員の方々が「お客様は神様です」と考えているとは思いませんが、ビジネスシーンにおいて「お客様は神様です」という考えはナンセンスでしかなく、売買契約において不都合が生じた場合、売った側にも買った側に一定の責任が生じるものと考えています。

教職員の方々は、表向きは決して「児童(保護者)がお客様である」とは仰いませんが、少なからず気持ちのどこかにその思いがあり、一方、保護者側には子どもがお世話にあっている学校、教職員の皆様との思いがあります。相互の思いを知った上で互いに敬うことによってのみ、関係が維持されている様な気がします。

私学の保護者には希に「俺は客だぞ!」と言わんばかりの振る舞いをされる方もいらっしゃいますが、私学である以上、学校が子どもを退学させることがあることを忘れてはいけません。

敢えて、子ども(保護者)はお客様という考え方を前提にした場合、教職員の方々がPTA活動に対して少なからず遠慮してしまう構図が浮かびます。

学校行事のいくつかは、保護者のお手伝いを無くしては成立しないものとなっているのも事実でしょう。

世間でPTA活動の是非が問われているのを知りつつも、学校関係者が賛否の極論に言及されないのは、保護者のお手伝いに依存している事実を把握しているからではないかと考えています。そろそろ学校側からPTA活動はもっと簡素化してもらって構いませんよ、という声が多くなるような気もしていますし、学校側から発信されない以上、保護者だけで簡素化を実現することは不可能だと考えます。私がお世話になった学校では、数年前から行事単位での簡素化を依頼されていました。

 

少し話は逸れますが、ある年の11月、小学校の合格発表が終わった学校では、順次入学手続きに訪れる保護者の対応に追われていました。

期限までに入学手続きに来ない辞退者があった場合は補欠合格者に改めて繰り上がり合格を連絡することとなりますので、学校は予め一定の辞退者を見込んだ数の合格通知を出すのが通例となっています。ところがこの年は例年と異なり、辞退者はひとりも無く、入学手続きを済ませた児童数は定員の一割増しよりもさらに3名多かったそうです。

この学校は教職員が考えている以上に世間での評判が向上しており、受験したほぼ全てのご家庭が第一志望だったのです。

もしもこの人数を入学させるとなると、学校は1年生のクラスをひとつ追加しなければなりません。それは教室の数だけでなく担任・副担任の配置も然りですので、学校にとっては間違いなく大事件だったのです。幸い、年が開けた1月になってから一旦入学手続きをしたもののやはり他の小学校へ行きますという生徒が3名あり、学校としては事無きを得たのですが、後日、教職員の方々は当時を振り返って、あの時は本当に焦りました、と苦笑していました。

 

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